【歴史探訪】鹿児島市内の西南戦争史跡を、徒歩で巡ってみた~鹿児島ひとり旅③

運動不足解消!徒歩でも周れる、鹿児島市内の主要観光地

鹿児島市内にある西南戦争の史跡は、市電の市役所前停から天文館通停の辺りに集中しています。

 

バスもたくさん走っているのですが、私は徒歩で3時間ほどかけて回ってみました。


日ごろの運動不足も解消できて一石二鳥!?歩きに自信のある方には、おすすめです!!(笑)

 

桜島フェリーターミナルから徒歩10分「西南戦争の銃弾跡」


鹿児島は、東京よりも日没までの時間が1時間ほど長いので、日暮れまでのんびり観光に時間を割くことができます。


ちなみに私は、15:00頃まで桜島にいました。桜島フェリーターミナルから来た方向に歩くこと10分、市電の水族館口停を過ぎると、きれいな塀が見えてきました。

 

 

 

この塀を左に曲がっていきましょう。しばらくすると「史跡 私学校跡石塀」があります

 

 

「私学校跡石塀」とは? 明治7年に設立され、西郷隆盛らによって私学校生徒の教育が行われた場所。明治10年の西南戦争で廃校になり、現在は鹿児島医療センターになっている。

 

さらに真っ直ぐ進むと、なにやら塀に凹みが・・・。

意識していないと通り過ぎてしまいそうですが(私がそうでした笑)、これこそが「西南戦争の銃弾跡」です。

 

 

西南戦争は、ここにあった私学校の過激派生徒の暴走によって引き起こされました。

数え切れないほどの弾痕が、当時の激戦の模様を物語っています。

 

 

さて、このまま通りを渡ってすぐに、島津氏の居城であった鶴丸城御楼門があります。

 

 

 

日本最大の城門「鶴丸城 御楼門」と黎明館

鶴丸城は、後の初代藩主・島津家久が慶長6年(1601年)に建設した、島津氏の居城です。


正面中央にあるこの御楼門は、明治6年(1873年)の火災で焼失してしまったのですが、令和2年(2020年)に復元されました。

 

 

この立派な城門、なんと高さ・幅ともに20mを誇る日本最大の城門なのです。


復元の総工費は10億9千万円。このうち6億2千万円が民間からの寄付で賄われたそうです。

 

鶴丸城には、天守閣がない!? 城といえば天守閣がつきものですが、この鶴丸城にはそれがありません。背後に城山がそびえる天然の地形を生かして、城山に本丸と二の丸を置き、麓に居館を構える独特な造りでした。
正式名称は「鹿児島城」ですが、鶴が羽を広げたように見える城山の形から「鶴丸城」と呼ばれています。

 

門を潜ってみましょう。すぐ正面に見える石垣に、なにやら穴ぼこが・・・。

 

こ、これはまさか・・・!!

 

 

そう、先ほどと同じ西南戦争の銃弾跡なのですが、この石垣には銃弾よりも大きい砲弾の跡も残っています。

 

さらに驚くことに、当時の砲弾の破片も埋め込まれたままです。それがこちら。

 

これらの銃砲弾跡は、明治10年(1877年)9月の城山包囲戦で官軍が放ったものです。

150年も前の砲弾が今も残っているなんて、すごいですよね!!

 

当時の官軍の小銃について 旧式の装備で戦わざるを得なかった西郷軍に対して、官軍が使用していた小銃は12種類にも及ぶ。過半数は戊辰戦争の主力小銃でもあったイギリス製のエンフィールド銃というもので、2万4千挺以上が投入された。

 

石段を登ると、かつての本丸跡地に鹿児島県歴史資料センター黎明館が建っています。

 

閉館前だったので中には入りませんでしたが、建物の周りにも鹿児島県ゆかりの銅像や石碑がたくさん展示されていて、なかなか楽しめます。

 

 

七高生久遠の像は、かつてこの地にあった第七高等学校造士館の開校85周年を記念して建立されたもので、3名の学生はそれぞれ「知・情・意」を象徴しています。

 

他にもたくさんの展示物があるので、のんびり散策してみるのもいいですね。

 

 

 

鹿児島市のシンボル・西郷隆盛銅像

さて、鶴丸城を出て先ほどの通りを南下していきます。途中に鯉の泳いでいる堀があって、おじさんが餌をあげていました。しっかり整備されていて、綺麗な町並みです。

 

 

鶴丸城から徒歩5分ほどで、西郷隆盛銅像に到着です。

 

鹿児島=西郷さん。日本史の人物で、ここまで出身地と名前がセットで覚えられている人物は、珍しいのではないでしょうか。

 

突然「伊藤博文!!」と聞いても、なかなかパッと山口県は出てきませんもんね・・・(^^;)笑

 

西郷像」とハチ公像は、同じ作者!! 西郷隆盛の没後50年祭を記念して、昭和12年(1937年)5月に完成したこの銅像、作者はあの「忠犬ハチ公像」を作った安藤照。鹿児島市出身で、8年の歳月をかけて完成させた。ちなみに東京・上野の西郷隆盛像は高村光雲の作。

 

通りの反対側には西郷銅像撮影ひろばが整備されていて、愛犬・つんと西郷さんの銅像を一緒に収めることができます。

 

 

 

 

西郷像から徒歩5分、島津斉彬公を祀る照國神社

西郷さんの銅像を通り過ぎて、中央公園がある交差点を北に曲がると、大きな鳥居が見えてきます。

これが、薩摩11代藩主・島津斉彬公を祀る照國神社です。

 

 

島津斉彬ってどんな人? 文化6年(1809年)、江戸薩摩藩邸に生まれる。嘉永4年(1851年)に父・斉興の跡を次いで第11代薩摩藩主になる。就任直後から富国強兵に勤め、反射炉・溶鉱炉の建設や地雷・水雷・ガス灯の製造など、積極的に西洋の技術を活用した。
晩年は徳川家の将軍継嗣問題に敗れた後、藩兵を率いての上洛を企てたが、直前に病死。あまりにタイミングの良すぎる死に関しては、陰謀論も囁かれている。

 

この照國神社は鹿児島で最も大きい神社と言われています。文久3年(1863年)に天皇から島津斉彬公に「照國大明神」の新号が授けられ、翌年に創建されました。


しかし西南戦争と太平洋戦争、で二度に渡って消失。現在の社殿は戦後に再建されたものです。

 

毎年7月15~16日には「六月灯」というお祭りが開催されます。境内が色とりどりの灯篭で彩られ、県内最大規模の夏祭りだそうです。


その他にも年間を通じて様々な催し物が開かれているので、鹿児島市に来たらぜひ参拝することをオススメします!!

 

 

 

西南戦争終結の地・城山

照國神社の鳥居を向かって左に行くと、ゆるやかな上り坂が続きます。

 

 

この道をしばらく直進すると、西南戦争終結の地であり、西郷隆盛が自刃した城山の入り口に至ります。

 

 

えー、先に言っておきますがかなりの階段を登ります。脚力に自信のない方は、後に紹介する城山自然遊歩道から登ったほうがいいでしょう。

 

短時間で展望台まで登りたいならこの階段ルート緩やかな坂道で行きたいなら自然歩道ルートがオススメです。

 

 

急な勾配をひたすら登っていきます。私が登った日は秋だったから良いものの、真夏だったら地獄のようですね(^^;)


木々に囲まれた山道をしばらく登ると、急に視界が開けて目の前には桜島!!

 

苦労して登ってきた甲斐がありました!!ここまで来ると、目的地の展望台まではあと少しです。がんばって登りましょう!!

 

 

駐車場やお土産屋さんを抜けて、その昔時報代わりに大砲を撃ったという城山ドン広場を過ぎると、城山公園の入り口です。

 

道なりに歩いていくと、遂に展望台に到着です。

 

 

市街地と錦江湾、そして桜島が一望できる絶景。たくさんの観光客が写真を撮っていました。運がよければ、噴煙が上がっている桜島を写真に収められるかもしれません。


また、絶好の夜景スポットとしても有名です。きっと星空もきれいなんでしょうね~!!

 

 

けっこう高いところまで登ってきた印象ですが、城山展望台の標高は107mから108mと言われており、意外と低めです。

 

実は日本中にある「城山」 実は「城山」と名のつく山は日本中にあり、北は岩手県から南は沖縄県まで、その数実に276山。同名の山数としては日本一の多さです。城山という名前は、中世に山城が築かれていたことが由来です。
実はあなたの近所にも、城山があるかもしれません...!!

 

 

 

西郷隆盛が最期を過ごした洞窟

展望台から土産物屋さんまで戻り、裏手にあるトンネルを抜けると西郷さんが最期の5日間を過ごしたといわれる西郷隆盛洞窟に至ります。

実はこの日、私は洞窟まで行けませんでした。理由は、夕暮れが迫っていて時間的な余裕がなかったこと。そして、、、城山一帯が有名な心霊スポットだと聞いていたからです。

 

引用元:かごしま市観光ナビ( https://www.kagoshima-yokanavi.jp/spot/10013 )

 

また西郷洞窟の近くには、西郷さんが自刃した地と伝わる「西郷隆盛終焉の地」碑があります。こちらも併せての観光がオススメです。

 


引用元:かごぶら( https://www.kagobura.net/shop/shop.shtml?s=2542 )

 

昔の合戦が行われた場所を片っ端から「心霊スポットだ!!」と言う風潮、個人的には嫌いなのですが(鎌倉とかね...笑)、でも私は人一倍ビビリなのです...(^^;)


次に来たときは、昼間の明るい時間に必ずここまで行ってみます!!

 

城山は本当に心霊スポット? 城山が心霊スポットと云われている根拠は、この辺り一帯が西南戦争の激戦地であったこと。また、近年城山公園のトイレで女性の自殺があったからと言われています。
しかし、戦争でたくさんの人が亡くなった場所は城山に限らず日本中に無数あります。また、後者のトイレ自殺に関しては情報ソースがインターネット掲示板だったりするので、イマイチ信憑性は薄いのではないかと思われます。信じるか信じないかは、あなた次第...!?

 

 

 

国の文化財指定を受けている城山自然遊歩道

城山展望台から東方向に歩くと、城山自然遊歩道があります。

約600種類の植物は密生しており、国の文化財指定を受けている美しい遊歩道です。

 

 

歩いていると、上空から野鳥の声が聞こえてきます。昔、西郷さんや島津家の殿様もこの道を歩いたかと思うと、感慨もひとしおです。

 

 

出口近くに、かつて薩摩藩にあった造士館の同窓生によって建立された「忠芬義芳」の碑があります。

 

市内にはこういった石碑や記念碑がしっかり保存されていて、歴史を大切にする気持ちが感じられ、嬉しいですね(^^ )

 

 

途中に封じられた洞窟のようなものもあったのですが、特に説明版もなく、何の用途なのか分かりませんでした。

戦時中の防空壕かな?とも思ったのですが・・・。情報求む。


展望台から20分ほどで、出口まで到着しました。

 

 

 

 

島津三銅像がある探勝園へ

城山遊歩道を出ると、探勝園という公園に入ります。ここには島津久光・忠義父子の銅像があります。

 

照國神社にある島津斉彬像と合わせて、薩摩藩の歴史に欠かせない3公の銅像が勢ぞろいしる歴史好きには必見のスポットです。

 

 

池の中に鎮座するのは島津久光像。秋になれば、紅葉に囲まれた久光公の写真が撮影でき、絶好のフォトスポットとなっています。

 

島津久光ってどんな人? 文化14年(1817年)、鹿児島城に生まれる。国学に長け、斉彬の命で海岸防備を担当する。安政5年(1858年)に実子の忠徳(のちの忠義)が藩主に就任すると、次第に政治的影響力が増大し、元号が文久に改まる頃には藩の実権を掌握した。
寺田屋騒動や生麦事件、薩英戦争を経て倒幕の決断をしたが、晩年は新政府と対立した。隠居後は、開化政策に反発し生涯髷を切らず、和装帯刀を止めなかった。明治20年(1887年)、波乱万丈の人生を閉じる。

 

そして、こちらは薩摩藩最後の藩主・島津忠義像。洋装をしていますが、父・久光の言い付けで、生涯髷を切らなかったと伝われてます。

 

 

島津忠義ってどんな人? 薩摩藩12代目にして最後の藩主。天保10年(1840年)に生まれ、斉彬の養嗣子となる。実父は久光。安政5年(1858年)、斉彬の遺言により藩主に就任。しかし若年のため、父・久光や西郷隆盛・大久保利通に藩政を掌握され、主体性を発揮することはなかった。
大政奉還後は鹿児島県藩知事となったが、実質的な藩政は西郷に任せていた。西南戦争時は東京におり、ほぼ関与しなかった。造士館の再建などに携わった後、明治30年(1897年)に逝去。

 

またこの探勝園は、斉彬によって日本で始めてモールス信号の通信が行われた場所でもあります。

 

 

安政4年(1857年)、積極的に西洋文化を導入していた斉彬によって、この探勝園と鶴丸城の間に日本で始めてのモールス交信に成功しました。

その距離は600m。当時の日本では画期的なことでした。

 

 

 

【まとめ】所要時間の目安

以上で、鹿児島市内の西南戦争史跡めぐりツアーは終了です。お疲れ様でした!!


所要時間の大体の目安ですが、西南戦争の銃弾跡から鶴丸城・照國神社までは大体1時間強もあれば見学時間を含めても十分に回れます。


城山周辺は、展望台だけでなく西郷洞窟まで含めるなら、やはり1時間強は必須です。


その他黎明館の見学や、お土産屋さんでの買い物を含めて3~4時間もあれば十分に満喫できるのではないでしょうか。

 

もちろん人によって個人差はありますし、特に傾斜多い城山では、無理せず休憩しながら登ることをオススメします!!

 

 

おまけ:散策後は天文館グルメでリフレッシュ!!

散策後は鹿児島最大の商店街・天文館通りでリフレッシュしましょう♪
天文館通りへは、探勝園から徒歩で5分ほどです。

 

 

天文館といえば、しろくまのカキ氷で全国的な知名度を誇る「天文館むじゃき 本店」

テレビ番組水曜どうでしょうに登場したことでもお馴染みですね。テイクアウトもあるので、オススメです。


疲れたから一杯飲みたい!!という方には、むじゃきの向かい側にある「立ち飲み屋Kiritsu(キリツ)天文館店」がオススメです。

 

 

立ち飲み屋Kiritsuでは、幻の焼酎という「魔王」「森伊蔵」がなんとワンコインで飲めます

おつまみも充実しているので、サクッと飲むにはピッタリです♪

 

 

と言うわけで、鹿児島市内の西南戦争跡地を徒歩で巡る特集、お楽しみいただけたでしょうか?


鹿児島市周辺には、他にも言わずと知れた桜島やジンベエザメのいるいおワールドかごしま水族館、かつて島津家の別邸であった仙厳園など、まだまだたくさんの観光地があります。


自分なりにアレンジして、観光プランを作ってみてください♪それでは、皆様にとって良い旅になりますように!!

 

 



【今回歩いたルート】